人生を豊かにするための力を身につける -友だちいないと不安だ症候群に効く授業 –

読書でアウトプット

 

友だちとの関わり方について、考えたことはあるでしょうか。

私自身はそれほど意欲的に友達を作りにいく性格でもないので、どちらかというと友だちは少ない方だと思います。

普段から友だちにベッタリ依存するような感じではありませんが、嬉しいことや辛いことがあった時にそれを聞いてくれる相手や支えてくれる友だちがもし周りに一人もいなかったら、寂しいと思ったり、不安に感じたりすることもあるかもしれません。

今回紹介するのは、齋藤孝さんによる「友だち力」をテーマにした一冊。

少し前に読んだ藤原和博さんの本「新しい道徳」の中でこちらの本が紹介されていたことがきっかけで興味を持って手に取った本でした。

特に「いじめ問題」と友だちの関係について深く掘り下げて書いてあるということで詳しく知りたかったのと、あとは個人的に齋藤孝さんの優しい文体が好きなので久しぶりに齋藤孝さんの文章に触れて癒されたいという思いも幾分かありました。

一体どのような本だったのか、見てみましょう。

 

本の要約

今の日本人にとっての大きな問題の1つに「友だち問題」があります。この友だち力については、子供だけでなくいろいろな年代において問題となり得るのですが、特に中学生にとっては友だちとの関係性というのが死活問題となります。

この重要な友だち力とは一体どのようなものか、その力は具体的にどのようにすれば身につけることができるのかについて書かれています。

中学生に向けて行われた授業が基になっている本ですが、その内容は人間関係の本質について書かれており、中学生だけでなく幅広い世代の大人にもじっくり読める内容となっていました。

 

友だち力とは何か

友だち力というのは、単純に友だちをたくさん作るというような力ではありません。

「無理して友だちを作らなくてもいい」、「友だちがいない時があっても大丈夫」「相手と自分とは異質であると感じた時に相手を排除せず受け入れる距離感とバランスを取る」というようなことも含めて、自分自身と人との距離感をコントロールする力のことを指しています。

この友だち力には様々な側面があって、世代ごとにその特性は変わります。小・中学生、高校生の学生の頃だけでなく、親になっても親同士の覇権争いがあったり、高齢者の集まりであっても人同士の距離感をうまく取れないと、プライドがかち合ってしまいお互いに反目するということもごく普通にあり、人生を通して決定的に重要になってくる力です。

特に社会で求められる人間関係とは、自分とは異質なものや人に対して積極的に距離を縮めたり自分とのバランスを取ったりと調整することが求められます。これも友だち力です。

友だち力とは、すなわち人生を豊かにする力だと言えそうです。

友だち力は先天的なものではなく、後天的に身につけていくものなので、できるだけ早い段階で身につけておく方が良いでしょう。

 

お互いの人生の時期がクロスして離れる

本書の中で次のような一節がありました。

一生友だちでなくてもいいのです。

 

友だちというのは、時期のものでもあるという感じがします。

 

そのように、お互いの人生の時期がクロスするということがあって、また離れていくということもある。そしてまた久しぶりに会って、それから頻繁に会うようになるということもあります。

 

一定の距離感をずっと保つというのは無理なことの方が多いのではないでしょうか。ある時は毎日一緒にいたけれど、ある時には離れて三年くらい会わないというのも自然な形なのです。

これは非常に共感する部分でした。私自身の経験においても同様なことが何人かの友だちとの間で起こっています。

例えば、小学校低学年から4年生ぐらいまでの時は本当に毎日のように遊んでいたのに、なぜかある時期からほとんど遊ばず、中学になってからは会ってもほとんど話をしない。高校からは別々になり、もう十数年会ってなかったのにふとしたきっかけで再開し、それからまた時々二人で会ってお酒を飲みながらお互いの思いを話すこともあれば、家族同士でどちらかの家に集まって家族ぐるみの付き合いになる、そんな友だちもいます。

そうかと思えば、親友と言って差し支えないぐらいにお互いをよく知り、信頼していたのにある時を境にしてぷっつりと関係が途切れてしまったままの友だちもいたり。

ある時期は、そのように途切れてしまった友だちに対して、なんだか後ろめたいような感覚を覚えることも会ったのですが、ここで書かれているように「お互いの人生がクロスする」という感覚を持っていれば、そんなに思い悩んだりすることもないでしょう。

その時々でお互いが求めるものが一致するときもあれば、そうでないときもある。自然とそんな風に思うことができました。

 

いじめ問題を通して友だち力を考える

友だち力といじめ問題の関連性について書かれている章があり、この本の大きな1つの柱となっていました。

中学生時代が最も友だち関係が不安定になると著者は言います。いじめを積極的に克服する教育プログラムを作りたいという著者の思いがこの本の原点でもあります。

そのための「強い教科書」として、昭和61年に起きた実際の中学生自殺事件を扱っていました。

それは、東京都中野区立中野富士見中学2年生だった鹿川浩史さんがいじめを苦に自殺をした事件でした。

いじめで自殺する事件では、中学校が舞台になることが非常に多いのですが、中でも鹿川くんの事件は、中学校の友だち関係の現実をまざまざと見せつけた事件です。

 

その事件の遺産として、鹿川くんと同じクラスにいた人たちの証言をまとめた『「葬式ごっこ」8年後の証言』という本があります。

(中略)

私たち教師がどんなにうまく話をしても、『「葬式ごっこ」8年後の証言』に出てくる実際のクラスメイトの生の証言には及びません。実際に自分たちが殺してしまったのだという罪悪感の元に話をしている証言の威力があります。

本書では、この『「葬式ごっこ」8年後の証言』に実際に収録されている一人の証言の部分がそのまま引用されていました。

その証言者は、いじめの対象であった鹿川くんを直接的にいじめた訳ではなく、傍観者でした。この傍観者からの視点でとつとつと語られる内容には、大きな衝撃がありました。

中でも次の一節は特に印象的でした。

僕がこの事件について書くことで、わかって欲しいのは、自分の罪を懺悔しようなんて、そんな気持ちではない。僕はこんなに反省しています、なんてアピールしたいわけでもない。

本当にわかってもらいたいのは、人間の心のもろさ、人間の心の頼りなさであり、どんなに正しくあろうとしても、周りの環境に慣れてしまう、ということの恐ろしさだ。

自分には悪意がなかったとしても、周りに流されてしまう人の心のもろさ、危険性を誰でも持っている、だからこそ強い気持ちを持っていなければならない、というメッセージでした。

このリアルなメッセージには、人の心を揺さぶる大きな力がありました。著者は、こういう大きな力を持った教科書との出会いがなければ、人は自分自身の気持ちを素直に見つめ直す事は出来ない、だから強い教科書が必要だと言っています。

 

今の社会では、それぞれの人の「友だち力」が薄まり、傍観者でいようとすることによって、何かネガティブなパワーを発揮してしまうのです。本当は学校でも家庭でも、そこに存在している限り「僕は関係ない」「私は関わりがない」という事はありえない事です。

直接的な加害者であっても、傍観者であっても、「友だち力」というものが薄まってしまう事で全体が悪い方向へ向かってしまうことの危険性を強く感じました。

 

本からの気付き

最初、本のタイトルを見た時に感じたのは「少し子供向けな内容の本かな?」ということだったのですが、実際に読み進める中で感じた事は、「友だち力」という言葉の雰囲気以上に重く、大切なことであり、それは人と人の繋がりの本質についての内容で年齢関係なく知っておかなければならないもの、ということでした。

人との関わり方を多面的に考察し、また自分の世界をしっかりと持っていることの大切さについても述べられていました。相手に影響を与えることよりも、相手から影響を受ける「被影響力」も大切な友だち力なのだとわかりました。

またいじめ問題のところや人種差別のことについて触れている部分は読んでいて本当に辛かったのですが、これもやはり知っておかなければならない事であり、子供たちを守っていくために家庭でもこういったことについては目を背けずに話し合えるような機会を作っていくことも大切なことだと感じました。

結局、私はこの本で癒される事はなかったのですが、出会えて良かったと思える素晴らしい内容の本でした。

ぜひ一度チェックしてみてください。

 

 

以上です。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。