地獄の楽しみ方

読書でアウトプット

京極夏彦さんと言えば、妖怪が出てくる小説。そんなイメージの方も多くいらっしゃるのではないでしょうか。

 

今回紹介する本は小説ではなく、10代限定特別講座「たたかわないために〜語彙と思考」という題目で、一般公募により集まった15〜19歳の聴講生50名に向けて行われた特別授業を書籍化したものです。

タイトルの地獄とは、「現実の世の中」のことを例えて言った言葉です。

 

世の中には、いいことなんか何も無いですよ。地獄ですね。

でも、面白いんです。地獄だって面白がれれば面白いんです。

本文より

 

面白くするためのキーワードは、「言葉」です。

「言葉」とは何か。そして著者が「地獄」だという世の中で、どのようにすれば楽しむことができるのか、見てみましょう。

 

 

本への質問1:言葉とは何か

著者によれば、言葉とは「リスキーな大発明品」です。

言葉は人類最大の発明品

言葉の起源は、動物個体が発する信号です。ミツバチのダンスや、イルカのパルスなどがそれに該当します。ある個体が発する信号を別の個体が受信して行動する、信号による情報交換です。

けれども言葉は単なる信号ではありません。人類が言葉を生み出したことで、人は頭の中を整理整頓することができるようになり、意識が芽生え、そして、自我へと発展しました。言い換えれば、言葉が人を動物から人間へと変えた人類の大発明品なのです。

 

何がリスキーなのか

人を動物から人間へと変えたすごい発明品なのだけれど、完全なものでありません。

全ての言葉は多くを捨てて成り立っている、と著者は言います。

 

例えば、何か理不尽なことが身に起きたとして、その時にあなたはどう言うか。

 

悲しかったり、悔しかったり、ちょっとおかしかったり、色々な気持ちが混じり合っていませんか。ありますよね。「悲しい」の一言ですっぱり表現できるような気持ちなんてないですよね。

でも、気持ちを人に伝えるためには、言葉にしなきゃいけないですね。言葉にする時に、とりあえず何か言わなきゃ通じないから、「私は悲しかった」と言っちゃうんです。

その時、悔しい気持ちや、ちょっと面白かったという気持ちは全部捨てられてしまいます。

言葉は、この世にあるものの何万分の1、いや、何百万分の1ぐらいしか表現できないものなんです。言葉にした段階で、多くは捨てられてしまいます。

 

言葉は不完全なもので、言葉を発する方は、不完全な情報としての言葉しか発することができない。けれど、受け取る側は、その不完全な部分をいちいち確認を取ったりせずに、無意識に埋めて聞いてしまう、発する側と受け取る側でギャップがあったとしても、いちいちそれを確認しないし、多少のギャップがあってもすぐに困らない。

ここに一つのリスクがあると言います。

 

言葉は非常に不完全なものです。伝えたい事柄を正確に言い表すことは不可能に近い。受け取る方は常に過剰な意味合いを付加してしまうんです。

(中略)

言葉は通じないんです。だから、まずそれを承知で使いましょう。言葉とはそういうものなんです。みんな勘違いしているんです。自分の気持ちはからなず伝わると思っているんです。でも、その自分の気持ちさえ言葉にはできないんですよ。

本文より

 

あらゆる争いは、言葉の行き違いから起きていると著者は言います。

前述の理屈から、受け取る側で言葉の曲解はいくらでもできてしまうし、または、相手に曲解した内容を信じさせることも出来てしまうと。だからSNSでも炎上が起こる、と。

 

勝ち負けの言葉の魔術

著者は「勝った」、「負けた」は言葉の魔術だと言っています。

これも実は言葉の魔術です。勝つと負けるでは、勝つ方が「良い」と言うイメージがあるでしょう。だから、いい思いをしている奴はみんな勝ちだ、と思っちゃうんでしょうね。いけないことですね。

いい思いをしている人は、いい思いをしているだけです。何かに勝ったわけではない。

いい思いができない、何かつらい思いをしている人は、つらい思いをしているだけです。何かに負けた訳ではありません。

 

勝った、負けたと言うのは、ルールあってこその考え方です。そうですよね。きちんとしたルールが作られていて、そのルールが厳正に施行されている場でのみ、それは有効なんです。それ以外の場では、勝ち負けなんて、絶対に決められないんです。

「勝ち組」、「負け組」なんて言葉が昔流行して、今でもたまに使う人がいますけども、張り倒してやりたくなりますね。

 

その人の人生はその人がよければそれでいい、負けもなし、勝ちもなし、それが正しいあり方です。

さらに、「人間は自分がなりたいものになる、なってしまう」とした上で、次のように言っています。

 

良いところも悪いところも含めて、今の皆さんは、自分自身が半ば望んで作り上げたものなんですよ。それを打ち負かしたりしちゃいかんでしょう。自分が作り上げた今の自分をまず認めて、その上でこれからどのようにしていくのが効率的で効果的なのか、それを考える方がずっといいです。

もちろん、それも自分が決めることです。そんな自分と戦ってどうするんですか。負かされた自分はどうなるんですか。

自分を大事にしましょうね。

 

何遍でも言いますが、言葉は危ないものなんです。リスキーなんですよ。だからそういう風に言ってしまったら、そうなっちゃうのです。自分に負けたなんて言ったら、もうおしまいなんです。

言霊は、心以外には効きませんが、心にだけは効くんですよ。

 

言葉とは何か、どんな特性を持っているのか、勝ち負けという非常に単純化された価値観を人生に持ち込んでしまうことの危うさについて述べています。

 

 

言霊のこと

文中で、「言霊」という言葉が登場します。スピリチュアルなことは別にして、著者による言霊の見解は非常に面白かったので抜粋して紹介します。

 

なんだって恣意的に言い換えはできちゃうんです。言葉の選び方を変えただけで、同じ事象が百八十度変わってしまう。白いものも、黒くなってしまうんです。

だけど、いくら僕が「このテーブルにかかっている白い布は黒い」と言っても、この白い布は黒くならないですね。言霊は布には効かないのです。

でも、みなさんに「この布、黒いよね、黒いよね。黒い気がするよね」とずっと言い続けたなら、中には黒く見えちゃう人もいるかもしれない。それは無いとしても、皆さんがこの部屋を出たあとに「あの布、黄色かったよね」と誰かが言ったとしたらどうでしょう。布の色まで覚えている人はそんなにいませんね。

この演題が書かれている紙は黄色いし、あれ、布も黄色だったかしらと思う人はいるかもしれない。断言されれば余計にそう思うでしょう。そうなると記憶まで改ざんされてしまいます。

これは言葉の効力なんです。「言霊」とは、そうした「作用する言葉」のことです。

 

言葉で世界は変えられません。でも、言葉で人は変えられる。そうすると、なにがしかの変化は起こせる。「言霊」は物理的な効果はゼロです。でも、人的な効果という意味において、社会的な変化を生み出すことはできるんです。

 

少し抜粋が長くなってしまいましたが、「なるほど」と思わされる説明です。

 

 

本への質問2:どうすれば地獄を楽しむことができますか

前述の通り、本書でいうところの「地獄」とは、すなわち「世の中」のことを例えています。

 

言葉とは不完全である、という前提を踏まえた上で、語彙を増やすこと。そうして、それを使いこなす技を身につけることが大切だと著者は言います。

 

辞書には何万語、何十万語という言葉が載っています。それを手に入れることは、自分の人生を豊かにすることです。語彙は、その数だけ世界をつくってくれるんです。たくさんの言葉を知って、その言葉を使いこなすことが、どれだけ豊かな人生をつくってくれるか、それははかり知れないことでしょう

 

言葉を発する前に考えましょう。それは自分の意見を表明するのにふさわしい文言なのか。誤解されるとしても、どんな誤解が生じるのか。同じように、聞いている方も、自分の解釈が絶対に正しいなどと思い込まないようにすべきです。

 

語彙は多ければ多いほど便利で、伝えたいことを伝わりやすくなります。語彙を増やし、正しい言葉の使い方を知り、言葉を駆使すること、きちんと手の届く目標を持って、自分の人生につまらない「勝った」「負けた」を持ち込まなければ、地獄も意外と楽しめるようになります。

 

本から得た気づきと行動

さすが小説家と思わずにいられないような、著者による言葉への説明は非常に示唆に富んでいました。そして、一つ一つの説明が実に面白く、引き込まれるのです。

ついつい、本記事での抜粋文が多くなってしまったのは、そういう理由です。とにかく読んでいて面白い。

けれど、「ああ、面白かった」で終わったらダメだと本書の冒頭で釘を刺されています。

よく「学校の勉強なんか実社会では役に立たないじゃん」というようなことを言う人がいますね。でも、それは役に立たないのではなくて、役に立てることができないというだけです。

 

面白かったな、とか、いいこと書いてあったな、と感心しているだけでは、得た知識を役に立てることはできない、ということです。

聞いたこと、学んだことをどうやって自分の人生に役に立てるか、役に立つようにするにはどうしたらいいのかを考えることを習慣にしなければ意味がないと改めて感じさせられました。

 

 

本の読み方について、印象的なことがありました。

小説は書いてあることより書いてないことの方が大事、と言います。書いてないところを読者が読んで、そこから生まれる「面白い」「ワクワクする」とかの感情は、書いてあることではなくて、書いてあることを読んで、そのあとに自分で作り出して生まれる感情だから、と。

 

だから、最初からつまんねえだろうなあと思って読むと、大方つまらないですね。逆に、きっと面白いに違いないと思い込むのもいけません。期待値が高すぎると裏切られるんです。と、いうか、「面白がらせてくれる」と思っちゃダメですね。

読書は受動じゃなく、能動です。「面白がってやる」が正しいでしょう。

 

読書は能動的にするもの、というのは常々、自分自身に言い聞かせていることですが、「面白がってやる」というスタンスが、とても新鮮でした。ビジネス本も小説も、全力で面白がってやるつもりで、これからも読書します。

 

そして、こんな一節も印象的でした。

本の中には、もう一つの人生があります。十冊楽しめた人は十、百冊楽しめた人は百、違う人生を歩めるんです

本を面白がって、楽しむことができれば、人生はさらに良くなっていく。

素晴らしいことだと思いませんか。

 

 

そのほか、神社での神頼みのことの考察のところも、非常に面白く、痛快でした。言い出すときりがありません。

文章を読む人だけでなく書く人にとっても、色々と感じることがある本だと思います。

ぜひ、一度読んでみてください。

 

 

以上です。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございました。