おいで、アラスカ!

読んだ本のこと

 

今回紹介するのは、ロンドン出身のアンナ・ウォルツ作の児童文学、「おいで、アラスカ!」です。

本書は2017年にオランダの児童文学賞に当たる「金の石筆賞」を受賞している作品で、おすすめ書籍として新聞の紙面でも頻繁に登場していた「お墨付き」の一冊でしたので、物語の内容には大いに期待して読んだのですが、事前の期待をさらに上回るほどの大変読み応えがある一冊でしたので、ぜひ紹介したいと思います。

 

本の概要

一寸先も予測できない未来への不安感や恐怖心、人への期待、そして裏切り、他者への不信感と信頼感、SNSの持つ力とその破壊力、そういった茫漠とした「生きることへの不安」に苦しみながら、それを乗り越えていこうとする子供の姿が描かれた物語です。

物語は、12歳の少女パーケル、13歳の少年スフェン、そして介助犬のアラスカを軸にして展開されています。特徴的なのは、少女パーケルと少年スフェンが交互に入れ替わりながら、それぞれの語り口調で物語が展開されている点。これにより、主観と客観が入れ替わりながら、二転三転する展開の中で起きる二人の心の変化が生き生きと描かれています。児童文学というカテゴリにありながらも、大人が読んでも「一体どうなるんだ!?」とページをめくる手が止まらない面白さがありました。

 

印象的だったところ

アラスカの魅力と介助犬のこと

物語の中で大きな核の一つとなっているのが介助犬のアラスカです。アラスカは、もともと少女パーケルの飼い犬でした。しかし家族の都合により犬を手放さなければならず、パーケルは悲しみに明け暮れます。そんなある日、パーケルは最愛の愛犬アラスカと意外な形で再会します。その時、アラスカはペットとしての犬ではなく、てんかん発作の持病を持つ人間の介助犬として、少年スフェンの傍にいるのでした。

アラスカは、もともと普通の家庭で大切に育てられたペット犬です。無垢で愛らしいペット犬の姿と、介助犬として人間を守る役割を担う犬という2つの側面からアラスカが描かれているのが印象的です。

物語の後半で、アラスカが物語の進行上でとても重要な活躍をするのですが、その背景にあるのがアラスカと人間との信頼関係です。役割を果たそうとするアラスカの姿はこれ以上ないくらいに頼もしく、普段の愛らしい犬の仕草とのギャップに驚かされるとともに、介助犬という存在のかけがえの無さを教えてくれる素晴らしい犬です。

てんかん発作を持つ人間を介助するための犬は、海外では一般的であるものの日本ではまだ導入されておらず、また現時点で導入の予定はないそうです。日本ではなぜ導入されないのかについては、もう少し深く踏み込んでみなければわからないのですが、てんかん発作を持つ人にとって介助犬の存在がどれほどに安心と希望を与えてくれるのかについて、本書を読むとよく理解できるようになります。日本で導入が難しい何らかの理由があるにせよ、その課題を解決する術が見つかり、日本でも導入される日が来て欲しいと思わずに入られませんでした。

 

てんかん発作のこと

少年スフェンはてんかん発作を持病として抱えており、なんの前触れもなくいきなり襲いかかってくる発作と、発作を起こしている自分に対しての周囲の目線に怯えて生活しています。てんかん発作の状況はかなり細かく描写されており、全く知らない人から見るとちょと怖さを感じるほど。それゆえ、13歳の少年であるスフェンにとって、発作の不安と恐怖に怯える毎日がどれほどに過酷なものであるかを読者は鮮明に感じることができます。

てんかん発作のことについて、なんとなく知ってはいるものの、実際に誰かが目の前で発作を起こして倒れた時にどうすれば良いかを判断するのはとても難しいことです。けれども、正しく知ることで発作を起こした人を守り、適正な対応を取ることができるようになること、そしててんかんを持病に持つ人にとって発作の理解者が身近にいることの大切さをこの物語は教えてくれます。

 

SNSの怖さと可能性

この物語では、SNSによる情報拡散の恐ろしさ、暴力性も描かれています。信頼したいと期待を持っていた仲間からの、悪意のない不意打ちに打ちのめされる少年の心の痛みは、読んでいてつらくなります。けれども、この物語の素晴らしいところは、SNSの暴力性を描くだけでなく、絶望の中にいる少年の心を再び救うのもまた、SNSによって連鎖する優しさであるということです。使い方によってSNSは人を打ちのめす暴力にもなれば、人を救う大きな力にもなる、そんなメッセージが少年少女たちの物語に丁寧に織り込まれていました。

こういったことは、学校ではどのように教わるものなのでしょうか。現代の子供たちはITネイティブと呼ばれ、スマート端末を使いこなす速度たるや驚くべきものがあります。けれど、人を思いやる心を持って扱うことと、端末を操作することはまた別のスキルのはずです。日常生活にスマート端末が浸透している今、子供達はこういったリテラシーも合わせてしっかりと身につけて欲しいと思います。(もちろん大人もですね。)

 

訳者による解説

本書の巻末には「読者のみなさんへ」と題して、本書の翻訳をされた野坂悦子さんからのメッセージが掲載されています。この物語の解説的な位置付けになっているところですが、この内容が本当に素晴らしい。単に物語の感想を述べるのではなく、著者がどのような人物であるか、この物語がどのようにして生まれたか、著者の想いはどこに表現されているのかを、とても優しく丁寧に伝えていました。物語を読んだ後にこの説明を読むことで、物語が一層光り輝くような印象を受けます。

本書の原題は「Alaska」なのですが、邦題は「おいで、アラスカ!」と少し手が加えられています。原題が邦題に変換される際に違った表現になることは小説でも映画でもよくあることですが、本書の邦題は原題にない味わい深さが込められていると感じています。この物語を最後まで読んで、少年スフェンとアラスカの関係、少女パーケルとアラスカの関係を理解した後にこの邦題を読み返すと、二人それぞれのアラスカへの想いがじわじわと体に染み込んでくるような、そんな余韻を残す素晴らしい邦題だと思いました。

この邦題をつけたのが訳者の野坂悦子さんかどうかは本書の情報だけでは分からなかったのですが、素晴らしい言葉のセンスをお持ちの方だと感じました。同じ著者の作品で他にも何点か野坂悦子さんが訳されているようなので、そちらも読んでみたくなりました。

 

児童文学と聞くと、「子供が読むもの」と大人は無意識的に敬遠してしまうところがあるかも知れませんが、大人の目線で読むからこそ気づく奥深さを持った作品もたくさんあることを改めて気付かせてくれる作品だと感じました。(名著と言われるミヒャエル・エンデの「モモ」も児童文学ですし)

以上です。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。