ローランドという生き方について話そう

読んだ本のこと

 

俺か、俺以外か。ローランドという生き方、

そんな本があると、SNSを通じて知りました。

ネット検索して見ると、果たしてすぐに出てきました。

ロールスロイス(と思わしき車)にもたれかかり、くわえたタバコに火をつけようとしているローランドさんの表紙。

エレガント、この言葉を映像にしたらこんな感じかな、と思わせる演出です。

(実際、ローランドさんはタバコを吸わないと本文中で書いているので、これは演出です)

巻頭にしばらく続く「いかにも」と言わんばかりのポートレート、

人によっては、「ちょっと成功したからって、いい気になって・・・」と眉をひそめてしまうこともあるかも知れません。

そういう私も、最初は正直なところ「うわー、なんだかすごいなぁこの人」という気持ちが少しありました。

しかし、冒頭から読み始めてすぐに、写真から自分が想像したのとは違う世界観がブワッと広がり、まるで首元を掴まれて体全体を水面に押さえつけられるかの様な強烈さでローランドという人の魅力に引き込まれてしまったのです。

気がつけば、「この人、すごい!」そんな風にイメージは大きく変わっていました。

俺か、俺以外か。突き抜けたタイトルで表現されるローランドさんとは一体どういう人なのか、そして、ローランドという生き方とは、どんな生き方なのか。探っていきましょう。

ローランドとは、どんな人か

大学入学式の当日に大学を辞めてホストになることを決意、「俺がホスト業界を変える」、「俺が伝説を作る」という言葉通り、半年で売り上げ1000万円を記録、歌舞伎町の最年少記録を次々に塗り替え、2015年ごろからは歌舞伎町ナンバーワンホストとしてメディアへの露出も増加、2018年7月のバースデーイベントで月6000万円の売り上げを達成、個人最高売り上げ記録を樹立、名実ともに歌舞伎町トップホストに。

そして、トップに上り詰めたにもかかわらず、2018年12月末で現役ホストを引退、独立、次の活動のステージへと移行。

と、この様にかなり型破りな沿革ですが、私が本書を読んで感じたローランドさんの人物像はホストという言葉から連想されがちなイメージとは全く違うものでした。

一言で言うと、ローランドさんという人は

「強くて、優しい人」

です。

ローランドさんの強さ

自分の生き方、正しいと信じることに対して、自分自身に一切の妥協を許さず、自分の哲学に忠実に生きようとする大変強い精神力を持った方です。

その志は、次の名言にも表れています。

「100人が100人ダメと言っても、その100人全員が間違えているかも知れないじゃないか」

「たくさん嘘をついてきたけど、自分に嘘をついたことはないね。一度も」

100人ダメと言っても、の言葉は、同時期に読んだ本「Zero To One」にも通じるところがありました。ゼロから1を生み出し、新しい時代を作るための発想のスタートは、「誰もが正しくないと思っているけれど、本当は正しい、ということには何があるだろうか」という発想です。

世界や一つの経済を大きく変えてしまうほどの影響を与える人というのは、やはり考え方も共通するところが多くあるものだなと感じました。

ローランドさんの優しさ

美しいもの(自分も含めて)と、人の心や愛情を大切にしようとする、優しさのある人です。

美しさに対しての拘りは相当に強い様です。

「世界で最も素敵な花は桜なのではないか。あんなに美しい花を咲かせるのに、いとも簡単に散っていく。そこに一切の未練などなく、自分が一番美しいタイミングで潔く散る。そこがまた、なんとも言えず痺れるのだ。」

「バッグの中身がぐちゃぐちゃだと頭の中までゴチャゴチャしてくるし、コンセントの配線が見えただけでも吐き気がする。左右非対称な物がたまらなく嫌い、自分でもちょっと病気なのではないか?と思うほどに几帳面だ」

「自分でもゾッとするほどの綺麗好きで、完璧主義だと改めて痛感した。」

几帳面すぎる自分に疲れることも多々あるとのこと。

「でも、そんなところも含めてローランド!」という開き直りの様な自己愛も、憎めないところです。

自己愛だけではない、他者への愛情も

従業員への想いを綴った一節がありました。

「愛情が足りないと人はこうなってしまうのか、と驚かされた。抱えているものはそれぞれだけれど、でもみんな、根はいいやつなんだ。自分では気がついていないけれど、伸びしろがものすごく大きい。」

実際に、「俺はお前のことを認めているよ」、「お前は自分が思っているよりずっといい男なんだ」という言葉を愛情を持って伝えることが大切と語っています。

また、保育園にロケに行く機会があった際に、自分の中で意外な感情があることに気がついた、と言います。

「いきなりやってきたブロンドロングの俺は、保育園児たちから見たら、ゆるキャラの様なものだったのだろう。わーっと取り囲まれて、遊んであげるはずが、完全に遊ばれていた。」

「だが、撮影された映像を見ると、どんなにベタベタな手で触られても、髪の毛をぐちゃぐちゃにされても、たまらなく子供が可愛いと思う、終始笑顔の自分がいた。自分でも気づいていなかった感情にびっくりした。」

その体験を通じて、ローランドさんはこう語ります。

幼少期の経験や愛情が人間形成に大きな影響を与えると実感している、

どうやったら、そういう寂しい想いをする子供たちを少しでも減らせるのだろう。

自分ができることはなんだろうか、最近、気がつくとそんなことを考えている。

ローランドさんは、なぜそれほどまでに成功したのか

私が本を読んで感じたのは、

ローランドさんが人間味にあふれたスーパーヒーローだから、

ということでした。

圧倒的な強さで結果を出す人は、世の中を見渡せばたくさんいます。

けど、スーパーヒーローって、ただ強いだけではなれないと思うんですよね。

ただ強いだけじゃない、優しさと愛を持ち、人間味に溢れていることがヒーローに必要な要素だと思うのです。

そして、ローランドさんは、そんな要素を兼ね備えているからこそ、圧倒的な数字で歌舞伎町のトップに上がったのだと思います。

ローランドさんとイメージが重なるヒーローが1名います。

ルパン三世です。

注)私の中では、ルパン三世はスーパーヒーローにカテゴリ分けされています

強さ、優しさ、というだけにとどまらず、人間味に溢れ、どんな時にもユーモアを忘れない点も、とても共通していると思うのです。

こんなエピソードがありました。

とあるお客様の女性とデートの帰り道、ひどい渋滞にはまってしまった時のことです。

朝早くから出かけてお互い疲れていたこともあって、お客様の女性がハンドルを持っているローランドさんがイライラしていないか気にしていたそうです。

そこでローランドさんが放った一言。

「こいつら全員、俺が雇ったエキストラなんだ!君と、もっと長くいたいからね」

女性は大爆笑し、とても気持ちが和んだそうです。

ローランドさんはこう言います。

渋滞だって悪くない、ゆっくりと話す時間だと思えばいい。渋滞という特殊な状況だからこそ、今までの生い立ちだったり人生観だったりを、とことん話せるかもしれない。

男たるもの、常に心に余裕を持っていたいもの。女性に気を遣わせるなんて、野暮なことはしない。

どんな状況でも相手を笑顔にすること、忘れないで。

この一節を読んで、私はルパン三世の映画「カリオストロの城」で、クラリスが城に閉じ込められてしまった時にルパン三世が手品を披露してクラリスを笑わせるシーンを思い出しました。

あの時のルパン三世がしたかったことと、渋滞でローランドさんがしたかったこと、

一緒だと思うんです。

また、こんな一節も。

ローランドさんの妹が就職で悩んでいた時、ラインで応援のメッセージを送った時のこと。

妹をとても大切にするローランドさんは、どんなメッセージを送ったらいいか、30分ぐらいかけて文章内容を推敲して送ったそうです。まさに渾身のライン。

送って3秒後に既読がつき、そして5秒後に「オッケー」と書かれたウサギのスタンプ一つ。

30分の渾身のメッセージは、スタンプ一つであっさりと返されてしまいました。

女性からこのような扱いを受けることに慣れておらず免疫がなかったローランドさんは、

膝から崩れ落ちそうになったそうです。

どことなく、峰不二子にいいように手玉に取られてしまうルパン三世のようではありませんか。

一切の妥協を許さない強い精神力と圧倒的な結果を出していながらも、このような人間味が感じられる人物だからこそ、多くの人から愛され、その結果として大成功されたのだと思います。

ローランドという生き方

この本でローランドさんが言いたかった生き方とは、凝縮すると次の一節に現れているように思います。

10年以上、全てを犠牲にして追い続けたサッカー選手になる夢が叶わず、あまりの落胆から、生きる目標を見失いかけた時に感じたこと。

自分の人生、自分が主役。

主役である自分がステージを降りてどうするのだ!

主役を任されたのならば、最後まで主役らしく勤め上げるのが主役だろうと。

自分の人生なのに、エキストラのように生きていくのはごめんだ!

西森博之さんの「今日から俺は!」というマンガをご存知でしょうか。

少し前に実写版でドラマ化されたこともあり、ご存知の方も多いかもしれません。

このマンガの主人公である三橋貴志が、開久高校の番長、片桐智司と対決する場面で印象的なシーンがあります。

 

開久高校は、生徒の99%が極悪なヤンキーというとんでもない学校です。

街中でも、開久、という言葉をきくだけで、どんな不良も戦意喪失してしまうほどの悪の巣窟なんです。

そこの番長ともなると、それはもう大変な強さです。

三橋も非常に強いのですが、さすがに番長の智司には苦戦を強いられてしまいます。

倒れても倒れても向かってくる三橋を見て、智司は徐々に混乱し始めます。

自分は誰もが恐れる開久のトップだ、なのに、なぜこいつは俺に向かってこようとするんだ、と。

そして、こう言います。

「いったいお前は何なんだ。俺は開久のトップだぞ!」

それを聞いた三橋は、すっと立ちあがり、こう言うのです。

「俺は、三橋貴志だ!」

これを聞いた智司は、唖然とし、立ちつくしてしまいます。そして気がつくのです。

いったい自分は、いつから開久のトップなんかで満足するような奴に成り下がってしまったんだ、と。

そして、一言つぶきます。

「やっぱ、テメーの旗振って生きてる奴は、ツエーな」

ローランドさんの言う「自分の人生を、主役として生きる」とは

見せかけの肩書きや立場に慢心したりせずに、自分らしく自分の旗をあげて生きることと

言えるのではないでしょうか。

ローランドさんは、それを自分自身で体現し、そうやって生きることの良さを伝えたいのかもしれない、そんな風に感じました。

そう思って、冒頭にある一節を読むと、また違った意味が見えてきました。

「俺は、何のために生まれてきたのか?人から必要とされて、脚光を浴び、熱狂させるためだ。」

これは「俺様ってすごいんだぞ」と言いたいだけではないはずです。

「君は、何のために生まれてきたんだ?人から必要とされ、脚光を浴び、輝いて生きるためだろ?だから、一緒に自分の旗を振って生きようぜ。」

そんなメッセージが込められているような気がしました。

誰だって輝ける、そんな希望のメッセージ。

「そうだ、君だって、ものすごくかっこいいんだ、すごく輝いているんだぜ!」

ローランドさんなら、そんな風に言いそうです。

そしてその後に、きっとこう言うのでしょう。

「でも、俺の方がもっと輝いているけどね!」

以上です。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。