成熟社会のための道徳観を -新しい道徳-

読んだ本のこと

 

2019年8月、参加した「読書の学校」の中で初めて藤原和博さんの本に出会って、大きな衝撃を受けました。

読書の学校で今までの自分にはありえないぐらいのスピードで様々な本に出会っていく中で、自分の人生は自分で作っていくものであり今の行動がこれからの自分の人生を形成していく、という意識をハッキリ持つようになったのですが(大げさに聞こえるかもしれませんが、本当にそう思います)、そんな中で藤原和博さんの本に書かれてある内容はどれも真実味と希望に満ちていて、今の私の行動に革命的な影響を与えました。

しばらく藤原和博さんの書籍から遠ざかっていたのですが、アマゾンの「あなたにお勧め」のところに出て着たので、久しぶりに読んでみたいと思い手にとったのが本書「新しい道徳」です。

 

本の概要

成長社会から成熟社会へと移行した日本には、道徳観も新しいものにシフトチェンジしなければならない、今の日本は古い道徳観から抜け出せず思考停止状態に陥ってしまっていると著者は言います。

「正解」を求め感情論に終始する古い道徳観から脱却し、理性に裏打ちされた新しい道徳観への模索に向けて「ゆとり問題」と「いじめ問題」という切り口から問題の本質へとアプローチし、新しい道徳観を模索した一冊。

 

「学力問題」と「いじめ問題」

本書では、マスメディアがこぞって提起した「ゆとり教育によって学力が低下した」とされる学力問題、そして「いじめによって自殺をする子供が増えている」とするいじめ問題、これらそれぞれに対して1章丸ごとを使って問題を深掘りし、その問題の本質に迫っています。

 

学習指導要領の3割削減、土曜日を休日にして授業時間の削減、そして総合学習の時間の創設、これらに代表されたゆとり教育。しかしメディアはゆとり教育が子供の学力低下を招いているといい、さらには「ゆとり世代」というある種侮蔑的要素を含む表現をも産みました。

果たして、ゆとり教育は悪だったのか?

2006年10月に加熱した「いじめ自殺」報道と実際の小・中学生の自殺についての検証から始まり、子供の死生観についての問題、旧来の感情に訴えるだけの道徳にある問題点、そしていじめに対してどう対処すべきかについて深く分析されています。

いじめ問題に対して、どのように取り組むべきか?

 

教育推進改革家である著者がこれらの問題について分析しその問題の本質を指摘、これからどうあるべきかを提案しています。

 

 

正直に言いますと、これら2つの問題に対して私自身はこれまで自分の答えを持っていませんでした。

ゆとり教育についてその言葉は知っているものの、マスメディアが報道するような指摘に対して自分なりの分析をすることもなく、そのくせ「これだからゆとり世代は」というような世間で散見された陰口に対して「そんなものなのかな」と傍観するだけの自分。

いじめ問題についても同様。私自身の子供は今現在、中学1年生と小学5年生です。これからますます多感になり、いじめということに無知ではいられないはずなのに、親として大人としてそれにどのように備え、どのように対処していくべきなのか、自分の意見すらも言えないような状態でした。

本書を読み、自分の知識の浅さ、認識の甘さを思い知らされました。

 

これらの問題に対しての受け止め方、目指す形は人によって様々であろうと思いますが、問題の本質を知ることなく自分のスタンスを決めることはできません。

もしこれらの問題に関心を持たれるなら、本書から得られる情報には価値があります。

 

道徳とは何か、リテラシーとは何か

これについても、なんとなくわかったような気になっていて、けれど質問されたら明確な回答ができない状態でした。

 

道徳の定義とは、何でしょう。

 

人のふみ行うべき道。ある社会で、その社会を構成する人の社会に対する、あるいは成員相互間の行為の善悪を判断する基準として一般に承認されている規範の総体、法律のように外面的強制力を伴うものではなく、個人の内面的な原理。現代においては、自然や文化財や技術品など、事物に対しての人間のあるべき態度もこれに含む。

本書での広辞苑からの抜粋部分を引用

 

古い道徳観について語る際に、ウサギと亀の物語を引用している下りがありました。日本で広く認識されている「正しい方」は、本当に正解だったのか?

アリとキリギリスの物語についても、アリが本当に正解だったのかどうか、これについては先日にご紹介した「超ヒマ社会を作る」でも、今後の認識を変えていかなければならないことが指摘されていました。

 

変化の激しい成熟社会において、かつて「正解」と思われたものがいつも正解ではなくなってしまう。だからこそ、時代の流れを読み、自分の身の回りの状況を察知し、その状況に合わせて自分の振る舞いを思考錯誤していかなければならない、と著者は言います。

これぞ藤原和博さんの著書で一貫して語られている「情報処理力ではなく情報編集力が問われる時代」です。

 

そして自分を取り巻く状況を察知して読み取るために必要となるのがリテラシーです。

 

リテラシーとは、何でしょうか。

リテラシーとは、物事や情報を取り込み、それを理解、分析し、自分の中で整理して、それを自分のものとして自分の言葉で表現したり判断したりする能力のこと。

インプットしたことを自分の中で整理、編集してアウトプットする力とも言えます。

情報リテラシーとは、自分の周りに流れていく様々な情報に対して、自分に必要な情報を掴み取り、その内容を額面通りに取るのではなくその本質を理解して、それに対しての自分の見識を高める能力だと言えます。

 

成熟社会に通用する新しい道徳観を自分の中で醸成していくためには、時代にあった善悪の判断能力とともに高い情報リテラシーも求められるのだと理解しました。

 

 

藤原和博さんと言えば、情報編集力です。本書でもきっと本流としてそこに行き着くであろうとなんとなく予想しながらも、大好きな藤原さんの本、できるだけフラットな気持ちを心がけて読みました。

そして実際に読んでみて、想像していた通りの内容と、そうでない内容があり、結果的に「もっと早く読んだらよかった」と思いました。

特に、道徳観の問題に対して学力問題といじめ問題から従来の道徳観における問題の本質にアプローチする道筋は非常に新鮮で、そして大きな学びがありました。

 

終盤、次の一節が深く心に残りました。

復興すべきは「美しい日本」という国の姿ではない。

日本という国の自然は、もともと十分に美しいからだ。

それより、むしろ一人一人の「美意識」のようなもの。新しい国づくりは、100年以上前の前例にならって、まず「人づくり」から始めなければならない。

真に復興すべきは、コミュニティに生きる人々の「美意識」。

 

 

 

以上です。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。