「雑草」という単語を聞いて、どんなことを連想しますか。
私の場合、すぐに思うのは
「抜いても抜いても生えてくる、たくましくてしぶとい植物」
というようなところでしょうか。
私の自宅にささやかな植栽スペースがありますが、ちょっと目を離すとすぐにどこからともなく雑草が生えてきます。草引きをしても、またいつのまにか種を変え場所を変え、ちゃっかりと生えてくる。どちらかというと、ちょっと煩わしい存在と言えるかもしれません。
『雑草から、私たちは学ぶべきことがある。』
そんなことを言われたら、意外に思われるかもしれませんね。
しかし雑草のような小さい植物が地球上から消えてなくならないのには、そこに何らかの蓋然性があるからであり、雑草の生き残りに長けた何かがあるのは違いありません。
私たちは、そんな雑草のこと、あまり知らずに生活をしています。
今回ご紹介する1冊は、そんな雑草にスポットライトを当てたものです。
雑草が生き残るために、どんな工夫と戦略を張り巡らせているのでしょう。
早速みてみましょう。
本の概要
雑草は一般的に「しぶとくて強い植物」と思われていますが、それは誤った認識です。実際には雑草は他の植物との生存争いを避けながら合理的に生きる、とても弱い植物です。
そんな雑草が生きる環境は、ちょっと特殊な環境である場合が多く、踏み倒される可能性が高かったり、引き抜かれやすかったり、厳しい風雨に晒されたりと、非常に過酷であり、かつ環境変化の予測がとても難しい環境です。
そんな環境で生きる雑草の戦略は、変化のスピードが早く、不確実性や不透明性が高い、予測不能と言われる現代の人間社会においても学ぶべきところがあり、役立てることができるはずです。
静岡大学の大学院教授、農学博士で雑草生態学を専門とする著者による、雑草戦略を学ぶ一冊。
植物が生き残るために必要な要素のこと
雑草の話の前に、まず植物の生存環境というくくりで考えてみましょう。
自然界では、常に激しい競争が存在する。競争に勝った者は生き残り、競争に敗れた者は滅んでいく。それが自然界の鉄則である。それは、植物の世界であっても同じである。
いや、むしろその競争は、植物が最も熾烈(しれつ)である。
競争というのは、資源の奪い合いである。
植物にとっての資源とは、水と日光と土の中の栄養分である。
これは、巨木であっても小さな植物であっても、すべての植物に共通である。つまり、資源をめぐる争いは、すべての植物の間で引き起こされる。
競争から逃げることはできないのだ。
生きるための資源が別であれば、例えば、草食動物と肉食動物、あるいは同じ肉食動物の中でもターゲットとする動物が違えば、共存することができます。
しかし、植物は勝手が違います。大きい植物も小さい植物も、あらゆる植物にとって生きていくために必要な資源は共通であり、その資源を奪い合って生きていかなければならないのです。
なおかつ、植物は通常、自分の意思で移動することができません。
だから植物の生存競争は熾烈を極めるのです。
そんな植物の生存競争における戦略として、重要な要素が三つあります。
・Conpetitive(競合における優位性)
・Stress Tolerance(ストレス耐性における優位性)
・Ruderal(荒地環境での耐性における優位性)
一つ目の「競合における優位性」としての典型は、大型の樹木です。植物同士の生存競争において、体が大きいことが圧倒的に優位になることは議論の余地がないかと思います。巨木となって深い森を作る樹木は、草などの植物に対して圧倒的な競争力を持っています。
二つ目の「ストレス耐性における優位性」としての典型は、サボテンです。サボテンは水がない地帯にすみます。植物にとって水がない環境は、生きていけない場所です。そのため、水がないという環境に対しての耐性を備えたサボテンは、砂漠で生きることで競争する必要がありません。
三つ目の「荒地環境での耐性における優位性」というのは、ちょっとピンと来ないかもしれませんね。荒地環境というのは、人為的な環境変化の度合いが激しく、植物にとって全く予測できないような急激な環境変動が起こる場所のことです。そんな、いつ何が起こるか全くわからないところで生きていくのに必要な耐性を備えている植物こそが、雑草と呼ばれる植物なのです。
これらの三つの要素は完全に独立して成立するものではなく、どの植物であってもそれぞれの要素を持ちながら、そのバランスを変えて生き延びていくための戦略を発展させています。
雑草の強さとは何か
どことなく「強い」というイメージがある雑草ですが、そもそも雑草は本当に強いのでしょうか。
植物界の中で見たら雑草は「他の植物と競合することに弱い」、と著者は言います。
環境や状況によって、何が強みとなるのかは変化します。生物も植物も、長い歴史の中でそれぞれの住む環境に合わせて自分の特性を変化させて、自分の得意なところで生き残ってきています。
雑草の特性は、荒地環境での耐性における優位性があることです。
他の植物は生き残れないような予測不可能な変化が起きる場所にも素早く柔軟に対応して生き延びることができること、
それが雑草の強さです。
雑草の戦略とはどのようなものか
雑草の強さは、予測不可能な変動にも対応できることでした。
私は、雑草の成功法則は、
「逆境」×「変化」×「多様性」
という掛け算で表されると考えている。
逆境について
ピンチはチャンスと言いますが、まともに勝負しては負けてしまう弱者にとっては逆境(ピンチ)の中に生き残るチャンスを見いだすことが大切であり、さらにもっと大切なことは、そのチャンスを逃さないための備えをいかに行っておくか、ということです。
雑草は土の中に膨大な数の種子を蓄積しており、これはシードバンクと呼ばれています。
このシードバンクでは、種子が発芽するために必要な条件(空気、水、温度)が揃っていても、芽は出さずに休眠しています。そして、そのほとんどは日の目を見ることはありません。
しかし、誰かが草引きをしたりして種子に日光が当たると、即座に芽を出すのです。
いつでも芽が出せる状態でじっと待機して、もしも草刈りや草引きなどで地表の茎が抜き去られ、土壌がひっくり返されてもすぐに次に繋げる準備をしているのです。
どんなに草引きをしてもまたすぐに生えてくるのは、このシードバンクがあるからです。
雑草のシードバンクは、逆境の中でチャンスを逃さないため、次の命を繋ぐための雑草の戦略です。
変化について
植物は基本的に自力で好きな場所へ移動することができません。そのため、種子が芽を出したその場所で生きていくしか選択肢がありません。
変えられないものは受け入れる、変えられるものを変える
それが植物の基本的な生き方であると著者は言います。
変えられるものとは、何か。
それは植物自身である。
自分の体や成長の仕方はいかようにも変えることができる。そのため、植物は自分自身を変化させるのだ。
生物の変化する能力のことを「可塑性」と言い、植物の中でも雑草は特にこの可塑性が大きいとされているそうです。雑草は、自分を変化させることが得意なのです。
競合するものがないところでは、雑草は広く横に伸びて行こうとしますが、ライバルとなる植物がいる場合は一転して茎を上に伸ばして行こうとします。
周りに起こる様々な変化に対して、雑草は常に臨機応変に自分自身を変化させる。これも雑草が予測できない環境変化の中で生き残るための戦略です。
多様性について
環境に合わせた強みを自分の特性として持っておくこと。これが生き残っていくために必要であることは当然なのですが、環境がいつ何時どのように変化するか予測できないようなところに住む雑草にとって、どんな特性を持っておくのが望ましいのかはわかりません。今は良くても、その先もずっとその特性が優位に働くかどうかは分からないのです。
オナモミという雑草があります。「ひっつき虫」と言えば、「ああ、あれか」と思い当たる方も多いと思います。
このオナモミはトゲトゲした実がなりますが、トゲトゲの実の中に2種類の違った性質を持った種子が一緒に入っている、ということはあまり知られていないかもしれません。
オナモミの実に入っている種子のうち、一つは「すぐに芽を出そうとするせっかち屋さん」という特性があり、もう一つは「ゆっくり時間をかけて芽を出そうとするのんびり屋さん」という特性を持っています。
なぜ同じ種類の草から違う性質を持つ種子が同封されているのか?
ここまで読んでくださった方なら、もう答えは自明だと思います。
実が地面に落ちて種子が芽を出そうとする場所が、「早く発芽したほうがいい」場所なのか、「すぐには発芽しないほうがいい」場所なのか分からないから、その両方に対応できるよう種子に多様性を備えて生き延びる可能性を高めているのです。
オナモミの他にも、発芽のタイミングが異なる種子を持つ雑草はたくさんあるそうです。
また、種子植物は受粉することで繁殖を行いますが、受粉のために花粉を虫などに運んでもらうタイプ(他殖)のものと、自分自身で行うタイプ(自殖)のものがあります。受粉の可能性が高いのは、自分自身で行える自殖タイプであるのは明白ですが、わざわざ虫に花粉を運ばせて運に任せるような受粉のし方を選ぶのはなぜか?
これも多様性を生み出すために他なりません。自殖を繰り返すことは人間でいうところの近親交配を繰り返すようなもので、似た者同士を掛け合わせるとその種の生存に不利な形質が現れます。だからわざわざ手間がかかりリスクの高い他殖という方法を採用しています。
雑草は、種子が芽を出した場所の周囲に自分と同じ種の雑草がいるかどうかはわかりません。変化が激しいところに生きる雑草にとっては、芽を出したものの周囲に自分の仲間が全くいない環境だって普通にあるのです。
そのため、雑草には「自殖」と「他殖」の両方を行うことができる種が多いそうです。
雑草が生えている場所は、「変化する環境」である。何が正しくて、何が間違っているかは、環境によって異なる。成功したか失敗したかも結果論でしかない。何が正しいかは誰にも分からないのだ。
雑草は常に「答えの分からない」環境に置かれている。どちらが正しいか分からないときに、どうするか。雑草の答えは、明確である。
どちらが正しいのかわからないのであれば、両方持っておくことが正しい。
逆境、変化、多様性という側面から、雑草が生き残っていくために身につけてきた戦略がいかに優れたものであるのかが良く分かります。
人間は雑草から何を学ぶのか
逆境をチャンスに変えること、周囲環境の変化に対して臨機応変に自分自身を変えていくこと、多様性を持って変化への耐性を上げること、そのどれもが現代の私たちが直面している「予測不可能な社会」という環境で生きていく上で求められるものです。
・自分の特性を活かせる場所を選んで生きること
・自分の特性が活きない場所でいかに戦わないか
・チャンスを逃さないために種まきを怠らないこと
・変えられないものを受け入れる潔さと、スピーディに自分を変えていく柔軟さ
雑草が生き延びるためにとってきた戦略は、私たちも見習い、活かしていくべき内容に溢れていました。
*
本書を読んで、生き延びるために雑草がいかに工夫をしているのかを知って驚いたのと、自然界がいかに厳しい生存競争の世界であるかを改めて認識しました。
自分の特性を活かせない場所に生まれてしまったり、環境の変化に対応することができなかった種は、地球上に存続することが許されない、とても過酷なものです。
動物や植物たちが生きる世界の過酷さは、人間社会のそれとは比較になりません。
しかし、人もそれぞれ人間社会の中で強く生きていかなければならない。そのために知性を磨き、雑草からも学べるものは学んで自分に取り込んでいくという柔軟さや謙虚さが必要なのだとも感じました。
ところで、日本人は雑草が結構好きです。「雑草魂」や「雑草集団」など、雑草という単語が含まれながらも、それらの言葉はあまり否定的なものではありません。家紋でも、雑草のモチーフを取り入れたものが多くあります。
本書では、これらの雑草に対する日本人の感性についても言及されており、読んでいて「確かに」と感じるところが多く、非常に面白い内容でした。
本書を読むと、普段何気なく道端で生きている雑草を見る目が少し変わるかもしれません。とても学びの多い一冊でした。
ぜひ、チェックしてみてください。
以上です。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
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