命がけの奇跡のリポート -ハイパーハードボイルドグルメリポート-

読んだ本のこと

 

「ヤバい世界のヤバい奴らは何食ってんだ?」

番組の掲げる旗印はたった一つ。普通は踏み込めないようなヤバい世界に突っ込んで、そこに生きる人々の飯を撮りに行く。いかにも粗暴、いかにも俗悪。

しかし、実際に見たヤバい奴らの食卓は、ヤバいくらいの美しさに満ちていた。

 

「MunehitoKiriさんは、きっと好きだと思いますよ」と、読書仲間から勧めていただいたのですが、読んでみると果たして大好きな本でした。

冒頭の引用文のとおり、本書は普通なら「危険すぎる」「接点がなさすぎる」等の理由からまず誰も踏み込まない(踏み込めない)であろう世界に踏み込み、そこに生きる人たちの食事を追いかけます。

あまりにも危険な場所へ踏み込むため、時には相手がむき出しの敵意を向けて山刀を突きつけ「何しに来たんだ!」と凄んでくる場面もあり、文字どおり命がけで作られた奇跡のようなリポートです。

著者はテレビ番組のディレクター/プロデューサーで、同名の番組がテレビ東京で放送されています。しかし本書は番組の書籍版という位置付けではなく、本書こそがこのタイトルの終着点であり、番組で放送されたものは著者が現地で見たことの1/1000に過ぎないと著者は言っています。ビジュアルはほぼなく(数カ所で挿絵程度に写真がある)、文字だけで表現されているのに映像が脳内に湧き上がるような臨場感があり、内容も非常に濃厚。非常に読み応えのある一冊でした。

実際にどんなところへ行っているか、目次から引用してみます。

リベリア 人食い少年兵の廃墟飯

台湾 マフィアの贅沢中華

ロシア シベリアン・イエスのカルト飯

ケニア ゴミ山スカベンジャー飯

これらの場所へ足を踏み入れて現地の人たちの素顔に迫るドキュメンタリーですが、内容は「壮絶」の一言。「これは、本当に今の時代の現実のことなのか!?」と疑ってしまいたくなるようなぶっ飛んだ内容も多く、読後は様々な感情が自分の中を渦巻くことになるのですが、最終的に行き着くのは「それでも生きる」ということ。

 

人の生き方というのは様々ですが、とにかく本書に登場する人たちが全力で生きようとしていることは間違いなく、それがひしひしと文章から伝わってくるので「命を燃やすとは、こういう形もあるのか」と打ちひしがれたような気持ちになりました。

 

本書では、上記の各所において様々な人たちと出会い、彼らの食べるものを一緒に食べる様子が描かれています。特に印象に残った人たちのことを少し書いてみます。

リベリア/ジェシカ22歳

ジェシカはリベリアの貧困街に住む女性で、エボラ出血熱に感染した経歴を持っています。エボラ出血熱は、WHOの制定した病原体の危険性を示す指標において最も危険性が高いとされるグループに分類されており、高い場合では致死率90%とも言われる非常に危険な病気です。ジェシカは、かかればほぼ死ぬと言われているエボラ出血熱を発症し、そして死の淵から生きて帰ってきました。

「祖母も母も死んだ。妹も死んだ。みんな死んで、自分だけ生き残った」、そう言うジェシカに著者は「生還してから、何か変わりましたか」と問います。その問いに対するジェシカの回答は、予想とは違うものでした。ジェシカは「何も変わらない」と前置きしてから、次のように言います。

「私はずっと不幸。生まれた時からずっと不幸で今も不幸」

こうい言い放つジェシカに対して、自分ならどんな言葉を投げかけることができるだろうかと考えてみましたが、何も言葉が出ませんでした。「自分は不幸である」ということを、感情的になるでもなく淡々と受け入れているかのように見えるジェシカには、他の誰からも有無を言わせないような圧倒的な何かがあるように感じました。

 

ケニア/ジョセフ18歳

世界で最も汚染された場所の一つとして名前があがる、ケニアのダンドラ・ゴミ集積場。1日850トンのゴミがナイロビ中から運ばれる(10トントラックが1日に85回、ゴミを廃棄しにやってくる)場所で、ケニア最大の廃棄物最終処分場。

ジョセフはそのゴミ集積場で住んでいます。ゴミの中からプラスチックや金属などを集めて、それを売ってお金を手にする。そうやってジョセフは生きています。彼の家族はナイロビの外に住んでおり、2人の妹と3人の弟が家族と一緒に住んでいますが、両親は貧しく、全員を養っていく財力がありませんでした。長男であるジョセフは、自分よりも幼い兄弟を守るため、自ら家を出ます。食べるものを求め、お金になるものを求め、たどり着いたのがダンドラでした。お金があれば、両親を探して、会いに行きたい。けれど、もう彼に両親や家族の居場所は、分かりません。

ジョセフは街にゴミ収集に出るトラックの荷台に乗り、他のゴミ収集員と一緒に街に出ます。街で回収されたゴミは収集員によりトラックの荷台に投げ込まれ、ジョセフはそのゴミの中から売ってお金になるものを探します。探している側からゴミが投げ込まれるため、ジョセフは何度も頭からゴミをかぶります。その光景に言葉を失い立ち尽くす著者に向かって、ジョセフは叫びます。「これが僕の仕事だよ!」

そうやって朝から夕方までゴミを均し、お金になるゴミを集めて、1日働いてその日に手にしたお金は90シリング(約90円)。その日の食事は、赤い豆を塩で煮たものとライス。しめて80シリング。ゴミをかぶりながら1日働いて得たお金は、その1食でほぼなくなりました。

食事を作るため火を起こし、湯が沸くのを待つ間、ジョセフは著者に同行しているケニア人通訳者に「日本語はどうやって勉強したの?」と質問するくだりがあるのですが、なぜ日本語を勉強したいのかという質問に対してジョセフの答えは「だって、日本人と話したいもん」でした。彼の回答には、人が学ぶことの意味の中で、とても大切な何かが含まれているように感じました。

「将来やりたいことは何かある?」と聞くと、ジョセフは少し考えてから「奥さんと子供が欲しい」と答えます。そして、それに続いて「そうしたらプレイステーション屋をやって、それでお金を稼ぎたいんだ」と。ジョセフの住むところでは、プレイステーションが1台あれば、それを使ってお客からプレイ料を取って生活することができる。それが、ジョセフの望むことでした。

「ジョセフは今、幸せ?」と問うと、笑ってジョセフはこう答えます。「あなたに会えたから幸せだよ」

アフリカには、「汚い暮らしをしている者も、心は綺麗だ」という諺があるそうです。ジョセフが雨で濡れた体を乾かすためにゴミを燃やして火を起こすと、雨が止んで晴れ間が見え始めた広い空に、2重の大きな虹がかかりました。ゴミの山で座り込むジョセフの頭上にかかる大きな虹、本書の巻末にその写真が掲載されています。その光景は、その諺が本当なのだということを言わんとするかのようでした。なぜか頭の中でBlue Heartsの歌「青空」が流れていました。

 

「極端にヤバい人たちについて考えることは、極端に平凡な我々について考えることと表裏一体だ。ヤバさを見つめれば、普通が見えてくる」

本書で登場する人たちは本当に様々で、上に紹介した以外にもたくさんの人たちが登場します。心の綺麗な人もいれば、法律の枠組みから外れて生きるアウトローな人も多数います。旅行者から金目のものを強奪し、シンナーに溺れて生きるような人もいました。

そんな彼らに型通りの常識を振りかざしても、彼らには何も伝わらないでしょう。世界には、そうやって生きている人間がいる、そういう世界がある。それが、事実なのだと突きつけられた感じがしました。

本の向こうにある世界には、ギラギラとほとばしるような生命がありました。改めて自分の生きている状況を見ると、まるでこちらの方がどこかフワフワとした非現実のことのようにさえ思えてくるから不思議です。

遠い遠い世界の人たちの姿を思うとき、なぜか思考はやがて「自分のこと」へと戻ってきます。ヤバさを見つめれば普通が見えてくる、という著者の言葉は本当だなと思いました。

 

以上です。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。