人生色々、人も色々。もっといい加減に生きていい -あなたは酢ダコが好きか嫌いか-

読んだ本のこと

 

今回紹介するのは、次のお二方の往復書簡という形式で書かれた一冊「あなたは酢ダコが好きか嫌いか」です。

佐藤愛子:1923年(大正12年)生まれ、直木賞作家。エッセイの名手としても知られる。

小島慶子:1972年(昭和47年)生まれ、タレント、エッセイスト。

ネットで見かけて、タイトルがとても面白いなあと気になったので手に取った本です。

元々は「佐藤愛子×小島慶子 往復書簡 夕立雷鳴×ときどき烈風」というタイトルで雑誌連載されていたものを編集して単行本化されたもの。元のタイトルも、面白いですね。

雑誌掲載時で、佐藤愛子さんは94歳、小島慶子さんは46歳。佐藤愛子さんは小島慶子さんの倍、人生を生きておられます。年の差50歳の文通はどのようなものか、94歳という佐藤愛子さんがどういった人生観を持たれているのか、とても気になったので読んでみたのでした。

 

この本を勧めたい人

この本は、次のような方に勧めたいと思いました。

40-50代で、人間関係(特に夫婦間)で悩んでいる人

生きることに息苦しさを感じている人

小島慶子さんがここで表現されているのは、真面目に、そして真剣に生きようとする飾らない40代女性の等身大の姿です。そしてその真剣さゆえにぶつかる問題、苦しさ、ジレンマといったものから世の中のリアルを感じます。

小島慶子さんの悩みは決して特殊なものではなくて、40-50代の人なら「そんなこと、確かにあるなあ」と共感できるのではないかと思います。そこに、書かれている内容が他人事ではなく自分ごととして感じられる要素があります。

そして、苦悩しながらもまっすぐ生きようとする小島慶子さんに向けて、人生の大先輩としての佐藤愛子さんの持論や人生観をストレートに伝えています。

時には「ちょっと厳しいのでは?」と思ってしまうようなぐらいズバズバと遠慮なく切り込む佐藤愛子さんですが、そこには愛情と包容力が溢れていました。そんな言葉だからこそ、真面目に生きようとするが為に息苦しさを感じている人の心に、とても優しく響くのだと思います。

 

印象的だったエピソード

小島慶子さんが久米宏さんとラジオ番組を担当された時のエピソードと、それに対しての佐藤愛子さんの返信が実に印象的でした。

久米宏さんは、番組がスタートする前に小島慶子さんにこんなことを言われたそうです。

「僕に遠慮せず、いつでも思ったことをどんどん言って下さい。生放送なんだから、その方が面白くなりますから。」

それで小島慶子さんは、「そうか、それならば」と実際に思ったことをどんどん言うのですが、どうもスタジオの雰囲気がおかしい。なにやら、久米宏さんはご立腹の様子。そんなことがしばしばあり、番組が終了した後。お礼の挨拶の際に、久米宏さんからのコメントが「月に一度ぐらいは本気でムッとしましたよ」だったそうな。

最初の出来事の後、小島慶子さんは「本当に思ったことを全て言ってはいけなかったんだ・・・」と自分を責めてしまい、その夜は熱を出してしまったそうです。

「忖度するのが大人」ということなのか。では、自分はその機能が壊れているのか。

この経験を通じて、小島慶子さんは「『今夜は無礼講で』は決して無礼講ではないのだ」と学んだそうです。

これに対しての佐藤愛子さんの返しが「あなた、真面目やなぁ。」です。

「これじゃあ、あなた、苦しいわ。そりゃあ辛いわ」と言う切り出しから、佐藤愛子さんが小島慶子さんに諭すところがこの作品の見どころの一つです。

 

世の中にはいろんな人がいます。一人一人、みな違います。100人いたら100の感性があり価値観があり、理屈があるわけだから、当然、理解不能、誤解や偏見が生まれます。これは仕方のないことよね。正すことなんかできない。

 

それぞれの人の思わく、傷ついた、傷つけた、なんてことを考えたって追っつかない。

「蛸の酢のもの」を酸っぱいから嫌いだと言う人を、味のわからん奴、と怒ってもしょうがない。

 

平気で人を傷つけるのはそりゃあ良くないですよ。けれども、たいしたことでもないのに、傷ついた、傷つけられたと騒ぐのも良くない。私は思います。勝手に傷ついてクヨクヨしている暇にむやみに傷つく自分を矯める努力をした方がいいんじゃないかとね。第一そんなことにいちいち神経を使っていたら身がもたんもんネ。

人は人、我は我。私はそう考えて94年の波乱を乗り越えてきたのですよ!そう考えなければ、生きてこられなかったのよ!

 

このエピソードは、私自身も思うところがありました。

「なんでも自由に、意見を言って下さいね」、「もし『ここが良くない』と言うところがあったら、ぜひ教えて下さいね」、そんな風に言われて、その通りにしたら相手がへそを曲げてしまった経験は私にもありました。そしてそのことを私自身も、一時期引きずったことがありました。

「いちいち、そんな忖度やってられるかい」って、それぐらいでいいんじゃないかなと、佐藤愛子さんの言葉を聞いて思いました。

 

佐藤愛子さんの夫婦喧嘩についての捉え方も非常にユニークで面白かったので、いくつかご紹介しておきます。

 

私は肉弾戦に於いては女は非力であると言うことをわきまえているので、「殴りかかる」なんて無謀はしません。代わりにものを投げつける。その投擲物(とうてきぶつ)だってね、投げて壊れても損をしないものを選びます。最適なのが牛乳瓶です。

 

夫婦喧嘩の大義は要するに「ウップン晴し」ですからね。

「台風一過、あとは雲ひとつない、ルンルン青い空」というのが望ましい。

私ほどの師範になると、夫婦喧嘩は憂きこと多い日常を活性化する一服の清涼剤でした。テキにとってどうだったかは、分からないけれど。

 

私はかれから酷い目にあっている。しかしそう言う私も、自分は知らないままに、彼を苦しめていたに違いない、そう思うと恨みつらみは消えていくのです。

 

牛乳瓶を投げつけられるとちょっと恐ろしいですが、夫婦喧嘩が清涼剤とはすごいですね。さすが94歳と感服しました。

 

本からの気づき

真面目に生きること、相手を気遣うこと、親として立派であろうとすること、どれもとても大切なことだけれど、それ一本調子ではこの世の中は息苦しくなってしまうものなのかもしれません。

 

あなたは眞剣勝負が好きなのね。その点も私とあなたは違う。私は「いい加減」が好き。

人の目には眞剣勝負をしているように見えるかも知れないけれど、その眞剣勝負もほんとはいい加減にやってるんですよ。そうでなければ、慶子さん、この気に入らないことの多い厄介な世の中を96年も生きてこられませんよ!

肩肘張って生きなくていい、もっといい加減でいいんですよ。

佐藤愛子さんの言葉を聞いていると、自然とそんなふうに思うことができました。

 

以上です。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。