生きることに夢中になる -国境のない生き方-

読んだ本のこと

 

他の国へ行く時の、国際線の空港での待ち時間のワクワクする感じが、とても好きです。

これは日本から他の国へ行く時だけでなくて、以前に住んでいたベトナムから他の国へ出向く時も同じような感覚がありました。

国内線ももちろんワクワクしますが、国際線には国内線とは少し違う、ある種独特な緊張感のようなものがあるように思います。

この感じは、どこからくるのでしょうか。

以前に読んだ本「楽しくなければ仕事じゃない」で、著者の干場さんは「チャンスはいつも、あなたが思っていることの外にある。いつもやっていること、いつも会っている人の外にある」と言われています。

飛行機に乗って行った先に待っている、日常とは非連続な場所や時間、そして新しい人との出会い。そこには、何か新しいことが待っているような気がして、そして、それに向けて今まさに出て行こうとすることへの高揚感が、とても心地よいのだと思います。

 

ヤマザキマリさんという漫画家をご存知でしょうか。テルマエロマエを通じて知った方も多いかもしれません。

今回ご紹介する本は、漫画家であるヤマザキマリさんのエッセイ、「国境のない生き方」です。ヤマザキマリさんは、そのタイトルのごとく国境に縛られない生き方を体現している方です。そんなヤマザキさんは、国境や世界に対してどんな風に考えているのでしょう。

早速見てみましょう。

 

国境のない生き方 私をつくった本と旅 ヤマザキマリ

 

 

本書は、既成概念にとらわれることなく面白がって生きること、「生きることを謳歌する」ことについて書かれた、ヤマザキマリさんのエッセイです。

本書の本質は「世界中を旅して生きる」といったものではなく、精神的に国境フリーに生きるということです。

国境フリーに生きるためには、物理的に国境を超えて行くための視覚的なもの(パスポートや現金など)だけでなく、もう少し他のものも必要になってくることが本書を読むと分かってきます。

 

ボーダーを超えて行く力

生活習慣も、考え方もぜんぜん違う人たちが暮らす土地に行くというのは、精神的な面でもいろいろな障壁(ボーダー)が立ちはだかるものです。

パッと思い浮かぶボーダーとして、言葉の問題があるかも知れません。このことについて、少し触れている箇所があったので引用してみます。

 

ニューカレドニアからマレ島という、プロペラ機でなきゃいけないような小さな島に行った時のことです。フランス人がやっている小さなペンションがあるのですが、そこが島の人たちが集まる憩いの場になっていました。

みんながわいわいフランス語でしゃべっていたら、たぶん、楽しそうだから、自分も参加したくなったんでしょうね、デルス(ヤマザキマリさんのお子さん)が突然意味不明なフランス語っぽい言葉をしゃべり始めたんです。とにかく一生懸命、繰り返していたら、島の子が笑ったりもしないで、この子は何か言いたいんだなと察したのか、「何とかだよ」って教えてくれた。

ああ、美しいな、と思いました。こうやって言語って覚えて行くんだなって。

人と人が接触したくて、楽しみたくて。

本書より抜粋

大人になると、いろんな物差しが自分の中にできる様になっています。その物差しは一般的に、「常識」という言葉で置き換えることもできることが多いのですが、違う生活習慣や考え方の人たちと接触すると、「自分の思う常識」と、「相手の思う常識」の間でズレがあることを感じる場面に遭遇します。

このズレを楽しめるかどうかは、一つの大きな分岐点になっていると思いました。

 

「自由に生きること」の本質を知る

国境に縛られずに生きる、ということを聞くと、「自由だな」と思うのですが、それでは「自由に生きる」ことの本質は何かと聞かれたら、さて何と答えるでしょうか。

ヤマザキマリさんは、こんな風に言います。

 

例えば、広い体育館があって「ここで何をしてもいいよ」と言われたら、どうしますか?「どこでもいいから、寝てください」と言われたとしても、たぶん、ほとんどの人が体育館のど真ん中で寝たいとは思わないはず。

やっぱり、近くに壁があるところに行こうとするんじゃないだろうか。自分の周りに防御してくれるもの、守ってくれるものが欲しい。自分がひとりぼっちだと感じないで済む様な囲いを求めてしまう。

「自由に生きる」というのは、その囲いをでて、まっさらで何の囲いもない場所に、ぽつんとひとり、立つことなのだと思います。

(中略)

旅に出て、自分のことを誰も知らない場所に身を置くと、そのことがよく実感できます。それまでの経験や価値観が通用するかどうかもわからない場所で、人は自分を試される。ましてそれがひとり旅なら、何かをするたびに自分で判断しなければならないわけで、まっさらな場所で「お前は何者なのか」と問われている様な気持ちになるはずです。

そうやって自分で考え、自分で感じ、自分の手と足を使って学んで行くことを「経験」というのだと思います。囲いの外に出なければ、血肉となる様な経験は得られないでしょう。

本書より抜粋

自由に生きる力というのは、囲いの外に自分から出ていくこと、自分の足で立って生きて行く力ことなんだと思いました。

自分から安全圏を飛び出して、囲いの外に出るのは勇気がいることだし、いろいろなエネルギーを消費するし、「わざわざそんなことを自分からする必要ないよ」と思う人もいるでしょう。

でも、予想していなかった出会いから全く思ってもいなかった方向に自分の人生が動いて、それが自分の人生にとって何か素晴らしいものがあったと思える様な経験をしたことがある人なら、囲いの外に出るからこそ得られるものがある、ということも感じることができる様な気がしています。

ヤマザキマリさんの言葉でいくつか印象に残ったものがあったので引用します。

 

生まれたからには、命をもっと使えばいいと思うんですよ。

傷つかない様に、大事に守ってるだけじゃなくて、もっともっと使わないと。省エネで生きることは、結局、その人にとって損ですよ。

 

人と人は単純じゃないということがわかっていると、そのぶん、複雑なことが味わえる。せっかく世界が素晴らしいものを差し出してくれても、こっちに味わう力がなかったら、スルーするしかない

 

わたしも人間という一種類の動物として、他の動物たちと同じ様に、地球に愛される生き方がしたいです。

(中略)

アリはアリの世界、蛾は蛾の世界で生きていて、アリが蛾に向かって「なんだ、お前。蛾の世界が正しいと思ってるのかよ」なんて、いちゃもんをつけたりしない。生きていくために食べたり、食べられたりすることはあっても、皆、ちゃんと共存している。

 

もっと、ただの生き物みたいに、生きることそのものに夢中になったらいい。あとからくっつけたいろんなものを、取っ払って、囲いの外に出てみる。

一度でも出てみれば、きっと分かると思います。この世界が、どんなに広いか。

 

ヤマザキマリさんの様に、生きることそのものを面白がることができる様になったら、きっとまた世界が違って見えてくるはずです。

「わたしは地球人です」と堂々と言える生き方って、かっこいいなと思いました。

 

以上です。

最後まで読んでいただいて、ありがとうございます。